略歴
PROFILE
-
1949年
福岡県古賀市薦野生まれ
小野小学校卒業
古賀中学校卒業
福岡県立香椎高等学校卒業
生徒会長、現在「香二十会」同窓会長
-
1968年
古賀町役場 (現古賀市役所) 勤務
主に企画立案の第一線実務を担当
自治体労働運動活動
町職労書記長・執行委員長
古賀市中学校PTA活動
副会長、会長などを歴任
母、照枝43歳で他界
1969年
父、長マサエと再婚
-
1975年
伊藤照代と結婚。古賀北区、古賀東区に居住
長男、剛誕生
1979年
長女、暁誕生
1980年
花鶴丘に新築入居
1982年
義母、伊藤ハツコと同居
1984年
二男、治誕生
1985年
継母、マサエ58歳で他界
1986年
中国語講座に励む
1987年
車の免許取得
-
1998年
古賀市役所退職
中村隆象事務所所長として古賀市長選に全力
1999年
昭和電機工事株式会社 (現 株式会社昭和テックス)
常務、専務取締役 (在籍9年、2008年退社)
2002年
行政書士開業
事務所/古賀市薦野1325番地
2004年
初孫誕生
2006年
父、吉住廣87歳で他界
2007年
法務大臣委嘱、人権擁護委員2期6年
2008年
妻、照代58歳で他界
-
2011年
2014年
中村市長返り咲き通算四期目を目指し選対本部長
-
2015年
古賀市議会議員当選2期
文教厚生常任委員会委員長
議員運営委員
粕屋北部消防組合議会議員
2016年
子ども3人それぞれが結婚独立
2019年
古賀市議会議員当選3期
総務委員会所属
2022年
行政書士廃業
2023年
古賀市議会議員3期12年で引退
情報発信活動
PUBLICATION
高校時代、香椎高等学校生徒会機関紙「日刊ぱっしょん」1968年6月創刊
古賀町役場時代「青年部かわら版 職労機関スクラム」
「古賀町勢要覧」1971年
「数字で見る古賀町 1972年版」
「古賀町合併 20周年記念誌」1974年
「組合員必携 1976~1988年版」古賀町職員労働組合
「古賀町の農林業 (統計資料集)」1982年7月/古賀町役場産業課
「古賀町便利手帳 1984年版」
「役員通信」1990年5月~1991年10月 No.21/古賀中学校PTA本会
「いっちょうめ通信」1995年5月~1997年6月 No.45/花鶴丘1丁目自治会
「古賀町の保健と福祉と医療 -資料編-」1988年3月/古賀市保健福祉部健康福祉課
「古賀市長1年生の奮戦記録」2000年1月/白砂青松の会
社内報「おはよう」2002年10月創刊~2008年3月 235号/株式会社昭和テックス
「新市新風 中村隆象10年史」2008年12月/かづる企画
ブログ「象さんたちの掲示板」2009年1月4日~2010年11月30日 848話/中村りゅう象後援会
実績と政策パンフレット「日々耕す」1万部/2019年3月
吉住長敏公式ブログ「ぱっしょん」2011年2月19日開設、毎日更新中
吉住長敏の今
RECENT TOPICS
- 関心事
【地域史と古代史】九州古代史の会。
古賀郷土史研究会、薦野の歴史をつなぐ会の会員。
玄界義塾 (古賀市) を受講。
- 親族ら
二男一女。それぞれ独立。
古賀市内美明、日吉に長男、二男家族。都内江戸川区に長女家族。
- 生活習慣
早寝早起。酒 (週) 休二日制を2017年11月から導入。
毎朝花鶴2号公園でラジオ体操。
2022年8月28日から毎日30分程度のウオーキング開始。
2023年1月10日から毎日朝晩血圧測定と自宅筋トレ開始。
- 地域活動
2010年から花鶴小学校の登校児童見守り。
- 心がけ
「何事にも前向き」「日々耕す」
- 最近の拙著
吉住家のヒストリー「彫る」2017年11月
生い立ち
HISTORY
浅原健三と両親
八幡製鉄の溶鉱炉の火を消した明治時代の労働運動、政治家、経済人でもあった浅原健三との縁でつながった両親の三男一女の二男で生まれる。
近くの野山でチャンバラごっこなど外遊び三昧の少年時代をおくる。

薦野で小さな食料品店を営む母、筵内にあった電波監視局に働く父のもと、学校生活のかたわら、母が語る八幡空襲の話しとか、当時の炭坑合理化の労働争議を支援する父の姿や、家に持ち帰ってくる全電波労組の機関紙『はぐるま』を通して、社会の矛盾や世の中の動きに関心を寄せる。
高校時代
感受性が果敢な高校時代には、その興味を、勉学はさておき、生徒会活動に傾注し、機関紙日刊『ぱっしょん』の創刊を果たした。教科書よりも中央公論、世界、朝日ジャーナルを読んだ。
仲間と進歩的な恩師に支えられながら、校内問題にとどまらず、社会問題にまでの主張紙面ガリ版発行を継続する。

家庭の激震
しかし、母親の1968年の43歳急逝と相まって、父の職場閉鎖、熊本への再編移住という家庭の激震は、兄弟妹各自の自立した生き方を余儀なくされていく。
町役場に就職しながら、父の職場の活動家の影響もあって『学習の友』誌の読書活動を通じて、独自に全国各地の同胞たちと手をつなぐことになり、自治体労働運動や『住民と自治』誌の研究活動を推進していく。

自治体運動の集約
ほどなく職場結婚、3人の子どもにめぐまれながら、統計、林業、事務改善、都市計画、企業誘致、健康、そしてサンコスモ建設業務を最後に、古賀町から市制施行に移る時期に、同和問題はじめに従来の行政姿勢の刷新転換をはかるために、中村隆象市長の実現に専従。公務員を辞す。
また、過去の労働運動、社会政治活動の枠組みにとらわれない再出発で心新たにする。自治体の実務という仕事と一住民としての願いの一体表現だったかもしれない。
民間経験と出馬の契機
1999年1月、PTA活動で縁があった方の縁から、官から民への地場会社に就業転換する。49歳。ここで中小企業労働者の厳しい労働実態、物事へのスピーディーな対応、費用対効果の民間経営術の貴重な体験をする。また、社内週報『おはよう』を235回発行できたことは懐かしい。
妻の急逝により退社。その後の古賀市長選挙が終わった時点で古賀市議会議員への出馬を決意する。
次なる人生行路
一般質問連続48回を果たすなどの議員活動は3期12年の任期をもって引退。
この機会に一切の政治活動にピリオドをうち、余生を古賀市周辺の地域史の調査研究活動に専念することで地域社会の発展に少しでも寄与することを胸に培った独自の在野精神で微力を注ぎたい。
